パンチドランカーの原因,症状など カーロス・リベラの脳に起きたこと
「あしたのジョー」では、まずカーロス・リベラが、そして最後には矢吹丈がパンチドランカーになってしまいます。
ホームレス同然のカーロスには、誰もがショックを受けたことと思います。
「あしたのジョー」の連載は、1967年から1973年でした(週刊少年マガジン発売日)
ジョーにパンチドランカー症状が現れてから45年ほど経っています。
45年の間に、研究も進んでいるはず!
パンチドランカーの脳で何が起きているのか、現われるのはどんな症状なのか、治療法はあるのか。
現在までに分かっている情報をあたってみました。
Contents
今は慢性外傷性脳症(CTE)と呼ばれるパンチドランク
かつては「ボクサー脳症」と呼ばれ、ボクシングなどの格闘技の出身者に特有の疾患のように思われていたパンチドランクという現象が、実はフットボールの世界でも頻発していることが明らかになったのは、2000年代に入ってからです。
40代から認知症に似た症状を発現していた元フットボーラー、マイク・ウェブスターの脳を解剖し、異常を発見した医師ベネット・オマルが、繰り返し衝撃を受けた脳に起きる障害を「慢性外傷性脳症(chronic traumatic encephalopathy、CTE)」と正式に名付けます。
現在では、日本でもボクサー脳症という言葉はあまり使われなくなり、「慢性外傷性脳症」や「CTE」という呼称が一般的です。
慢性外傷性脳症が多くのスポーツに起こりえるものと周知されるまでの歴史はこちらに
カーロスの脳に何が起きていたのか
オマルが調べたウェブスターの脳は、頭蓋を開いて肉眼で見ただけでは正常な脳と変わりなく、たんぱく質を染め出す詳細な検査によってはじめてタウ蛋白の凝集が発見されました。
タウタンパク質は、正常な脳にも存在する物質ですが、異常リン酸化が進行するとアルツハイマーを引き起こすと考えられています。
リン酸化タウタンパク質は、脳に貼りついた繊維のような状態のものです。
東京大学のサイトにアルツハイマー患者さんの脳組織の画像があります。
ここに→脳の糸くずのない未来
画像はアルツハイマーの脳です。カーロスやジョーの慢性外傷性脳症(CTE)ではなくアルツハイマー。
アルツハイマーの脳では、アミロイドβ蓄積→タウタンパク質凝集というステップがあり、アミロイドβも観察されますが、外傷性脳症では必ずしもアミロイド病変を伴うわけではないようです。
CTEの脳に共通するのは、リン酸化タウタンパク質のほうです。
カーロスの脳に、画像の赤矢印の物質タウタンパク質が発生していたのは確実、緑矢印のアミロイドβの有無は不明ということです。
パンチドランカーの脳では、リン酸化タウタンパク質が蓄積して神経変性を起こしているのです。
カーロスをパンチドランカーにしたのはジョーかホセか
不明です。
ですが、どちらでもない可能性が高いように思います。
引退後にCTEの症状を示す選手は、一様に繰り返し脳への打撃を受けています。
この「反復」という要素がタウたんぱくの凝集を引き起こしているとしたら、誰のパンチで罹患しただとか、どの試合でパンチドランカーになっただとかの話ではなく、それまでに頭に受けたすべての衝撃が原因ということになり、ジョーかホセかと言う問題ではありません。
CTEは、いまだ未解明なことの多い疾患です。
一度の衝撃でも、それがあまりに大きければ、たとえばホセのコーク・スクリュー・パンチのように強ければ、その一発が原因でパンチドランカーになることもあり得るのかもしれません。
もちろん私には分かりませんが、今のところどんな専門家にも断言はできないことです。
CTEの診断方法
頭を強く打った経験があると分かっているケースで、典型的な症状があって他に症状を説明できる病気がない場合には、「CTEの疑いあり」とされますが、確定診断には剖検が必要なので、生きている間に確かな診断を下すことはできません。
ただ、脳のタウ病変をPETで画像診断する方法が開発されています。
早期発見が重要と言われても、症状が出るまで異常を疑うことすらできないCTEですが、脳にタウ蛋白が蓄積し始めた段階で発見できるようになれば、事態は変わるでしょう。
参考:タウイメージングの幕開け
頭部外傷の分子イメージング:慢性外傷性脳症(CTE)と頭部外傷後精神病(PDFTBI)を中心に
慢性外傷性脳症(CTE)=パンチドランカーの症状
CTEの症状(パンチドランカーの症状と読み替えてもらって差し支えありません)は、
衝動性、抑うつ、妄想、集中困難、不眠、不安、暴言、暴力、自殺(既遂、未遂、企図、念慮)、認知障害、記憶障害、歩行の不安定、動作緩慢、ふるえ、構音障害…などがあって、さらに重いものでは、パーキンソン症候群やALSと似た症状が出ることがあると。
※パーキンソン症候群…パーキンソン病以外の原因でパーキンソン病と同じ症状を呈しているもの。CTEによるものなら外傷性パーキンソン症候群と分類されます。
※ALS…何度も脳震盪を繰り返した人が後にALSを発症することが多く、ALSとは違う神経変性疾患であるという見方もあります。
抑うつなど精神症状が目立つことや錐体外路障害の発現頻度の高さ、自殺リスクの高さなどが、アルツハイマーと異なる点だそうで…
アメフトを引退した選手の自殺は、何度もニュースになっています。
参考:脳震盪とALS|日経サイエンス
元アメフト選手の9割で脳疾患 接触型スポーツで事例
そういえばどこかでCTEの症状に「複視」(モノが二重に見える)と書いてあるのなら見たことがりますが(どこか失念しちゃいました)「失明」というのは見たことがありません。
ジョーの片目が見えなくなったのは、網膜剥離など別の理由、脳ではなく目のトラブルだったのでしょう。
CTEの発症年齢 カーロスやジョーの歳でも発症するのか
アメリカNFLでは、フットボールを引退して10年以上経過した選手の発症報告が目立ちます。
では、ジョーやカーロスのように二十歳前後でそれと分かる症状が出ることはないのかと言うと、そうでもなく…
ペンシルバニア大学フットボール部在籍中に自殺したオーウェン・トーマスは21歳でした。
死後に解剖された脳にはCTEの兆候が…
将来を嘱望される花形プレイヤーの死というだけでなく、21歳という若さで脳にCTEが認められたことも大きな衝撃を呼ぶニュースでした。
大学生の自殺は少なくありません。自殺の原因がCTEであったと断定することはできませんが、CTEにかかっていたことは事実です。
21歳といえば、ちょうどホセ戦の頃のジョーがそれくらいです。
カーロスが何歳だったのかは、定かではありませんが、ジョーとそれほど離れてはいないでしょう。
トーマスの母親によると、彼は9歳か10歳の時からフットボールをしていたとのことです。
山谷にたどり着いた日のジョーは15歳でした。
それまでの間に何度となく殴り殴られていたはずです。大人のパンチを受けることもあったでしょう。
あの日のジョーの強さが、本人の語ることのなかった過去のすさまじさを物語っています。
KCコミック あしたのジョー(1)P57 (C)高森朝雄・ちばてつや 2012
カラカスのスラム街でケンカに明け暮れていたというカーロスも、似たような境遇だったに違いありません。
ふたりが二十歳を過ぎたくらいの年齢でパンチドランカーになってしまったのは、一般的に考えれば早い発症ながら、特に不自然ではないことでした。
「カーロスのような若さで発症したケースはありません。まあフィクションですから」
と、むしろそう言いたかったのですが…
参考:慢性的な炎症にさらされると命取りになる
Penn’s Owen Thomas had CTE
CTEの4つのステージと各段階の年齢 カーロスのCTE進行は異常に早かった
CTEの重症度は4つのステージに分けられています。
2012年にボストン大学が行った調査での、それぞれのステージの該当年齢が発表されているので合わせて一覧にしました。
サンプル数は85例です。
重症度 | 主な症状 | 年齢 |
ステージI | 頭痛、注意集中困難 | 17歳~30歳 |
ステージII | 感情抑制困難 | 26歳~47歳 |
ステージIII | 記憶障害、遂行機能障害、易怒性 | 27歳~63歳 |
ステージIV | 痴呆、記憶喪失、言語障害、攻撃性、妄想、歩行困難、視空間認知困難 | 35歳~83歳 |
CTEは、死後の解剖によってしか確定診断できません。
上記の「年齢」は、死亡後にCTEと診断された人のカルテや周囲の人の証言から、「症状が出た年齢」を判断したものです。
データ元:Aaron Hernandez had Stage III CTE. What exactly does that mean?
カーロスには怒りっぽさや攻撃性はありませんでしたが、痴呆状態や運動能力の低下などからステージ4のレベルにあったんじゃないかと思います。
この調査でステージ4まで進行していたケースは、一番若くて35歳でした。
現役中に殺人で逮捕され、獄死したアメフトのアーロン・ヘルナンデスの脳を調べたところ、享年27歳ながらCTEがステージ3まで進行していたことが確認され、研究者たちを驚かせたと言われています。おそらく発症から10年は経過しているだろうとの見解も示されました。
カーロスは、発症も進行も相当速かったということでしょう。
CTEの予防 金竜飛や青山のファイトスタイルなら
頭部に繰り返し受傷することで起きるCTEの予防法は、頭を打たないようにすることです。
そんなこと言われても、ボクサーなんですけど…
「あしたのジョー」に登場するボクサーで考えて見ると…
ホセの、対戦相手の肩をつかんで打たせる手法は、案外危険ですが、基本的に防御の名手であるホセは、それほど多くのパンチを受けていないだろうと思います。
一発のラッキーパンチも許さない「戦うコンピューター」金龍飛は、かなり罹患確率が低いでしょう。
技巧派ウルフも平気かもしれません。
力石は微妙です。
プロ入り後には、ほとんどやられていないように思いますが、何かと無茶な人なので。
猛牛で特訓とかさ。考え付くだけでおかしい。
生まれた時からあの強さだったはずがなく、「若き殺し屋」と呼ばれるまでにどんな体験をしていても不思議はありません。
少年院で力石と対戦してすぐに終わった福島なんかは、「繰り返す受傷」ではなくCTEに関してはむしろ安全です。
青山のこんにゃく戦法も、存外いい作戦でした。
弱いフリをするカーロスは、思ったより危険。
KCコミック あしたのジョー(11)P144 (C)高森朝雄・ちばてつや 2012
両手ブラリは論外です。
KCコミック あしたのジョー(6)P211 (C)高森朝雄・ちばてつや 2012
とは言っても…
練習でサンドバッグを叩く動作でもその反動で脳が振動するそうなので、ボクサーの脳をパンチドランクから完全に守るのは難しいですね。
金はパンチドランカーだったのか
金がリング上で多くのパンチを受けたのは、ジョーとの防衛戦が最初で最後だったかもしれません。
なので、パンチドランカーにはなりにくいと思うのですが…
戦争からの帰還兵にはCTEと思しきケースが多く、爆風にさらされたことが脳の異常の原因であると見られています。
朝鮮戦争中、目の前で母親が爆撃された経験を持つ金が、他にも爆発の至近にいたことがあった可能性はおおいにあり、戦争中の出来事からパンチドランカーになることもあり得ないとは言えません。
だとすると金の異常行動は、CTEがさせていたことだったとも考えられますが、夜通し手を洗っていたり、血を見ると発狂したりといった奇行は、父殺しの記憶と結びついていることが明白なので、やはり慢性「外傷性」脳症ではなく「心的外傷」後ストレス障害だったのでしょう。
ホセは早期発見で悪化を食い止められるかも
今現在CTEの疑いのある患者さんに対して行われている指導は、これ以上の外傷を避けることです。
実際に進行を遅らせたり食い止めたりすることが出来るのかどうかは明確ではありませんが、試合に出続けるよりも良い予後になる見込みは充分あります。(絶対ではありません。まだ不明なことが多いCTEなので)
パンチドランカー研究の第一人者キニスキー博士の診察を欠かさず、奥様も博士からアドバイスを受けているホセは、子供を持つ身の責任もあり、引退後も定期的に健診を受けるだろうと思います。
早期発見とさらなる打撃の回避により一定の効果が得られるのであれば、ホセは、万が一CTEにかかっても重症化せずに済むかもしれません。
KCコミック あしたのジョー(17)P58 (C)高森朝雄・ちばてつや 2012
パンチドランカーは治るのか CTEの治療
廃人のようになったカーロスが東京体育館に現れてから45年たった今も治療法はありません。
前述の通り「パンチドランカー」とは「脳にタウたんぱくが凝集している人」のことであり、タウたんぱくを除去する方法は今のところないのです。
認知症の症状がリハビリや環境の変化によって軽減したように見えることがあるように、ある程度回復したように感じられるケースはあるかもしれませんが、それを示す報告例は発見できませんでした。(日本語と英語の文献しか検索していません。他言語ならあるかもしれません)
症状に対する治療薬を処方されれば、一部は抑えることが出来ます。
たとえば不眠なら睡眠薬が効くはずです。
でも妄想には統合失調の薬を出してもほとんど効果がなかったという報告もあります。
代表的な症状をあたらめて見ると
衝動性、抑うつ、妄想、集中困難、不眠、不安、暴言、暴力、自殺(既遂、未遂、企図、念慮)、認知障害、記憶障害、歩行の不安定、動作緩慢、ふるえ、構音障害…
「これが薬で治るなら人類は認知症克服してるじゃん!」みたいなものが並んでいて…
アルツハイマーとCTEは別の病気ですが、脳に蓄積したタウ蛋白が問題している点は同じです。(タウたんぱく質が脳に蓄積する疾患をまとめてタウオパチーと呼ばれています)
しかしタウオパチーは、全世界で研究されています。
いずれ必ず治療が可能になると信じましょう。